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ヒマつぶし情報

2021.06.12

競馬歴20年。青春を競馬と共に過ごした僕がウマ娘に対して感じる事。記憶と記録を残した世紀末覇王【テイエムオペラオー】

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皆さんウマ娘してますか?


僕は絶賛ドはまり中で今はSランクのウマ娘を育てる事を目標に毎日を過ごしています。


どんどん新しいウマ娘も追加され遂にナリタブライアンやセイウンスカイまで育てれる様になりましたね!


前回、前々回の記事

競馬歴20年。青春を競馬と共に過ごした僕がウマ娘に対して感じる事。 ライスシャワーにかける想いについて。

競馬歴20年。青春を競馬と共に過ごした僕がウマ娘に対して感じる事。高知競馬を救った最弱の名馬ハルウララ

2頭の記事を書かせて頂きました。


この2頭に共通して言える事は


記録よりもファンの記憶に残るレースや生涯を過ごしてきた。


という事でした。


今回は、この2頭と同じく記憶に残るレースを数多く残し

それ以上に歴史的記録を残してきた名馬


【名は体を表す】


まさにその言葉はこの馬の為に生まれたかの様な、20世紀最後の年、2000年に突如現れたその姿から世紀末覇王という二つ名も付けられたこの馬


記憶と記録を残した世紀末覇王

テイエムオペラオー


について書きたいと思います。

テイエムオペラオーの残した記録

まず初めに、テイエムオペラオーが当時残した歴代記録を紹介します。


歴代獲得賞金世界1位: 18億3518万9000円(当時の世界最高収得賞金額)

※2017年3月25日にアロゲートが世界最高収得賞金額を更新。国内では2017年12月24日にキタサンブラックが日本記録を更新。


歴代最高年間賞金獲得: 10億3600万4000円


GI最多勝利: 7勝

※2020年11月1日にアーモンドアイが記録を更新。


GI最多連対: 11連対

※2011年11月27日のジャパンカップでブエナビスタが記録を更新。


GI最多連勝: 6連勝

※交流重賞を含めると、2012年1月25日の川崎記念でスマートファルコンが史上2頭目の達成。


GI最多連続連対: 9連続連対


GI年間最多勝利: 5勝


重賞最多勝利: 12勝

※交流重賞を含めると、2010年12月29日の東京大賞典競走でスマートファルコンが記録を更新。


重賞最多連勝: 8連勝


重賞年間最多勝利: 8勝


天皇賞最多勝: 3勝


と、とてつもない記録を山ほど持っているオペラオー


この他にも


年間8戦無敗で

天皇賞(春)→宝塚記念→天皇賞(秋)→ジャパンカップ→有馬記念

のグランドスラムを1年間で史上初となる全制覇


この記録はおそらく今後も達成できる馬はいないでしょう。


今では抜かれてしまった記録もあるが、引退時にはこれだけの記録を打ち立てた

まさしく日本競馬史上を超え世界競馬史上で一番賞金を稼いだ馬。



20世紀最後の年に現れた歴史的名馬

日本競馬史に今も残る記録を持ち続ける覇王 


強すぎるあまり、出走するレースでは全ての馬が敵になった。

周りの助けもなにもない。自分だけの力をひたすら誇示し続け栄光を掴み続けた


20世紀最後の年に君臨したあまりにも強すぎるその姿に、いつの間にかこんな二つ名がついた


【世紀末覇王】


デビュー前のオペラオー

テイエムオペラオーが生まれたのは北海道


杵臼牧場


という小さな牧場


家族経営で決して多くない従業員と馬の数。

とても名馬を輩出するような牧場とは思えない牧場でオペラオーは産まれました。


お母さんのワンスウエドは1986年に牧場主がアメリカ出張の際に、初めて海外のセリに出向き緊張しながらも初めて競り落とした1頭だった。

そんな思い出深いお母さんを迎え入れて10年目の1996年に生まれたのがテイエムオペラオーでした。


兄弟もそこまで強い馬はいない、お父さんもそこまで値段の高い馬でもない、馬体もバランスはとれているけどそこまでパッとしない馬体。

評価としては、別に悪くはないけど普通か普通以下の馬


これがオペラオーの牧場にいた時の評価でした。


セリ市に出されたオペラオーは誰からも見向きもされず、唯一オペラオーの素晴らしさに気づいた

「テイエム」の冠名で競走馬を所有する馬主【竹園正繼】が1050万で購入した。


竹園オーナーが居なければオペラオーは誰にも見向きもされず買い手も付かなかったかもしれない。


ちなみに、オペラオーの生涯獲得賞金が約18億なので、1000万円が180倍になるほどの最高の買い物だった。


誰からも見向きもされなかったオペラオー

その魅力に世界で唯一気づいた竹園オーナー

この馬は絶対に走る。光輝いて見える。そうまで言ったこの馬に


冠名である「テイエム」

そして父のオペラハウスから一部をとって「オペラ」

そして最後に


サラブレッドの王になれ


という思いを込めて「オー」という組み合わせで「テイエムオペラオー」と名付けた。


世界で唯一味方となってくれた竹園オーナー

彼は周りの評価や批判も全てはねのけオペラオーを競馬史上に残る名馬にしようと大切に育て上げた。

デビューを迎えたサラブレッドの王

大切に育てられ、ようやくデビューが決まったオペラオー


調教では素晴らしい走りを見せ、デビューレースでは仔馬の頃とは評価も違い単勝1.5倍の圧倒的1番人気

この時オペラオーの背に跨ったのは若かりし頃の和田竜二騎手


今でもなお一流ジョッキーとして活躍している和田騎手はこの時まだ3年目の若手ジョッキーだった。


和田騎手を背にスタートしたデビュー戦では1着の馬から大きく離された2着で終えた。

デビュー戦後に骨折が判明し、長期の休養を余儀なくされた。


その骨折での長期休養の影響もあり2戦目も4着と大きく負けてしまう。


サラブレッドの王と名付けられたオペラオーにとっては痛い2戦連続の敗戦

若き和田騎手と共に調教を重ね迎えた3戦目は大きく後続を引き離しての勝利

そして、続く4戦目も危なげなく勝利し5戦目はクラシック3冠の初戦、皐月賞も視野にいれたG3毎日杯に決定した。


迎えたG3毎日杯


人気は3番人気と中堅どころの人気


勝てば皐月賞へ駒を進めれる大事な一戦でようやくオペラオーの実力が発揮された。

終わってみれば


2着に4馬身の差をつける圧勝で毎日杯を勝利


王が王になる為に、クラシック三冠への道がようやく切り開かれた瞬間だった。

強豪との戦い。3歳クラシックの幕開け

3連勝でG3毎日杯を勝利し迎えた皐月賞


皐月賞には今までのレースとは比べ物にならない程の強豪馬が溢れていた


母は歴史的名馬【ベガ】父は世界的名種牡馬【サンデーサイレンス】と超良血馬。

鞍上には天才武豊を乗せ、危なげなく皐月賞まで駒を進めた

アドマイヤベガ

前哨戦の弥生賞で、その超良血馬のアドマイヤベガを抑え勝利し、目下重賞2連勝で一気に主役に躍り出た新星

ナリタトップロード

そんな強豪馬ばかりの皐月賞


オペラオーの人気は低く5番人気という評価でレースはスタートした。


中団まで後方待機をみせ、直線に入って一気に加速していくオペラオー


驚異の末脚を魅せ

クラシック1冠目【皐月賞】を快勝で終えた。


そして、鞍上の和田騎手と生産者の杵臼牧場にとってもこれが嬉しいG1初制覇となった


若干21歳だった和田竜二を男にしたオペラオー


家族経営の小さな牧場から生まれたオペラオーが最初の奇跡をみせたレースだった。


この馬なら3冠を成し遂げれるのではないか。そう期待された


クラシック2冠目の日本ダービー


鞍上は引き続き和田騎手


人気はナリタトップロードとアドマイヤベガに僅差で続く3番人気。まさに90年代最後にして最強の3強対決と注目された。


そして、当時21歳であった和田騎手が勝利すれば、名手武豊でさえ成し遂げていない史上最年少での日本ダービー制覇の記録もかかっていた。


歴史的瞬間とサラブレッドの王への道に乗ると思われた1戦

結果は


1着 アドマイヤベガ

2着 ナリタトップロード

3着 テイエムオペラオー


と3強対決は3着と敗れてしまった。

狂い始めた歯車

日本ダービーを終え、一時休養に入ったオペラオー


復帰する秋からは日本ダービーの雪辱を晴らすために躍進すると誰もがそう思った。

しかし、秋初戦の京都大賞典。


初めての古馬との戦い、そして最強馬スペシャルウィークとの初対面

スペシャルウィークを警戒するあまり3着に敗れた。



続く、クラシック最後の1冠


【菊花賞】


日本ダービーと変わらない3強馬の戦い。


最後の1冠はナリタトップロードの頭上に輝いた


皐月賞 テイエムオペラオー

日本ダービー アドマイヤベガ

菊花賞 ナリタトップロード


とナリタトップロードが最後に意地を見せ、3強がそれぞれ3冠を分け合う形でクラシックは終了した。


この後、走り方からステイヤーの素質を魅入られ出走した国内最長距離のレース


ステイヤーズステークス


単勝1.1倍。勝って当たり前。勝ち方が楽しみとまで思われたこのレース


オペラオーはまさかの2着に敗れてしまう。


皐月賞の勝利から3冠も期待され歴史的名馬になりうるとまで言われたオペラオー


日本ダービーからステイヤーズステークスまで4戦して1度も勝利は得られなかった。


決して力負けしている訳ではない


オペラオーより強い馬が勝っている訳ではない



オペラオーの魅力に最初に気づいた、竹園オーナーの怒りの矛先はオペラオーではなく


和田竜二騎手


に向けれた。


オペラオーはあんなデビュー3年目のひよっこに扱えるような馬ではない

和田騎手ではなく、他の騎手が乗っていれば今頃3冠馬だったかもしれない。

競馬の世界に『タラレバ』は厳禁だが、不満は募る一方だった。


そうして迎えたオペラオー3歳(当時は4歳表記)最後のレースはグランプリ


有馬記念


相手は有馬記念→宝塚記念と連勝しグランプリ3連覇を目指すグラスワンダー


この有馬記念が引退レースと決まっていた、天皇賞(春)→天皇賞(秋)→ジャパンカップと今年GI3勝の最強馬スペシャルウィーク

今までの同世代とは比べ物にならない程数段アップしたレベルの高さ


5番人気と低評価でレースはスタートした


結果はグラスワンダー、スペシャルウィークとタイム差無しと僅差の3着に敗れた



またしてもわずかな差で勝利を逃したオペラオー




この結果に竹園オーナーの怒りは爆発した




こんな若手の騎手を乗せているから勝てるレースも勝てない!


和田が乗っていなければ今頃オペラオーは3冠に加え有馬記念も勝利し歴史的名馬の道を歩んでいたに違いない!


竹園オーナーはオペラオーには和田の代わりとして、名手武豊に引退したスペシャルウィークとアドマイヤベガの代わりに来年の1年をオペラオーに乗ってくれという話を進めていた。


勝負の世界。勝つか負けるかしかない世界。

馬7割:騎手3割と騎手の力量が大きく左右される競馬という世界。

竹園オーナーの考えは普通の考えだった。



オーナー。つまりその馬の所有者からの依頼は絶対だ。


オーナーがこのレースに出せというのであれば出すのが当たり前。この騎手を乗せろと言われれば乗せるのが当たり前。


その上、結果が出せない騎手が他の騎手に乗り替わるのは当たり前だった。



大怒りで騎手の変更を求める竹園オーナーに対してオペラオーを管理する岩元市三調教師は猛反発した。

そんな事をすればオーナーの怒りを買い、今後そのオーナーから馬を依頼されなくなるのも覚悟の上で岩元市三調教師は和田をこのまま乗せてくれと頼み込んだ。



岩元市三調教師は竹園オーナーにこう言ったと言う





もし、和田ではなく、武豊を乗せたいのであれば


竹園オーナーがウチに預けているオペラオー含め全ての所有馬を僕ではない誰か別の人の元に預けてください。


もし、和田がこれから先オペラオーに乗れないなら、そうなっても僕は構わない。


それ程オペラオーには和田しかいないと思っている。


オペラオーの背中に和田が乗ってこれから大レースを勝利する瞬間を見たい。





岩元調教師のこの言葉にはまだ岩本調教師が騎手時代だった頃のエピソードも強く関係していた


デビューから若い騎手が乗って大レースの直前にベテラン騎手や名手に乗り替わる。

そんな事が当たり前の世界。例え勝利したとしても、馬と騎手の絆は必ずある。

どんな名手よりも乗せなければならない騎手がいる。

そうしなければ馬も騎手もいつまでたっても成長しない。


元騎手だった岩本調教師だからこそ感じるオペラオーと和田騎手の絆


岩本調教師とは幼馴染でもあり、ほとんどの所有馬を岩本調教師に任せている竹園オーナー

その絶対的な絆、今まで築き上げてきた絆を全て捨ててもいい覚悟で和田を乗せ続けてくれと頼み込む岩本調教師のその姿に負け、竹園オーナーは武豊への依頼を断った。


その話を耳にした和田竜二はこう思った。



岩本調教師の為

竹園オーナーの為

そして、なによりオペラオーの為に


もう絶対に負けられない。


そうしてオペラオーの古馬時代が幕開けした。

真のサラブレッドの王誕生

翌年の2000年。オペラオーにとって、そして競馬界にとっては忘れられない1年になった。


初戦となるG2京都記念


3強世代のライバル ナリタトップロード

古馬世代の強豪馬 ステイゴールド


と2頭の強豪馬を前にオペラオーと和田騎手はクビ差の僅差で勝利した


もう負けられない。


もうオペラオーが負ける姿を見せたくない。



和田騎手からその気迫が感じられるレースだった。


次のレースは天皇賞(春)の前哨戦である


【阪神大賞典】


またもやナリタトップロードとの戦いに加え、昨年の菊花賞でオペラオーとナリタトップロードに次ぐ3着だったラスカルスズカが名手武豊を背に乗せ参戦した。


前目でレースをスタートさせた和田騎手とオペラオー


最後の直線ではライバル2頭に影も踏ませない程の快勝で古馬2戦を連勝でスタートした。



迎えた古馬初戦のG1


【天皇賞(春)】


ライバルは京都記念と阪神大賞典で負かしてきた相手ばかり

もう長距離でオペラオーの敵になる馬はいない!そう思わせる程の勝利で


皐月賞以来の1年以上ぶりにオペラオーと和田騎手はG1を勝利した。

こうして迎えたグランプリ


【宝塚記念】


もちろんファン投票1位で選出され、名実共にオペラーはサラブレッドの王への道を進んでいた。

この宝塚記念でオペラオーとは切っても切れないもう1頭の名馬との出会いが待っていた。


永遠のライバル

メイショウドトウ

宝塚記念の出走馬は豪華な顔ぶれが揃った。


昨年の有馬記念馬【グラスワンダー】

天皇賞(春)2着馬、名手武豊を背に乗せる【ラスカルスズカ】


他にもステイゴールド、マチカネフクキタル、サイレントハンター、マチカネキンノホシ等


歴戦の名馬が揃ったまさにグランプリの1戦となった


その強豪馬を押しのけゴール板を最初に駆け抜けたのはオペラオーだった。

しかし、圧勝するだろう。という周りの期待とは違いクビ差の僅差の勝利だった。


僅差の2着でオペラオーを最後まで追い詰めたのはグラスワンダーでもなくラスカルスズカでもなく、当時はほぼ無名で同じ4歳


メイショウドトウ


だった。



2000年宝塚記念

初めて対峙したオペラオーとメイショウドトウ

この2頭が今後

オペラオーVSナリタトップロード

を上回る程、永遠のライバルとして今も受け継がれる程の好勝負を今後続けるとはこの時誰も知る由もなかった。

宝塚記念勝利の後に休養を挟み迎えた秋初戦の京都大賞典



またしてもライバルナリタトップロードとの一騎打ちだったが、アタマ差の僅差の勝利

しかし、絶対に抜かせないオペラオーの走りに世間には着差よりも強い衝撃を与え


オペラオーVSナリタトップロード


このライバル対決はオペラオーの勝利で完全に幕を閉じた。


続く天皇賞(秋)

オペラオーに次ぐ2番人気は宝塚記念でオペラオーを追い詰めたメイショウドトウ

レースはあっけなく終わった


前を走るメイショウドトウをオペラオーは最強馬とは自分だけの名前だ。と言わんばかりの走りで一瞬で追い抜いた。



古馬になって、和田騎手が

【もう負けない】

と心に誓ってから


6戦無敗


6連勝でオペラオーと和田騎手は快進撃を続けた。


もう日本に敵はいない。


世間もそう思った次の1戦に選ばれたのは

日本馬VS世界の強豪馬が競い合う


ジャパンカップ


世界の強豪馬を相手に、遂に日本のサラブレッドの王が世界のサラブレッドの王になる瞬間を迎えた



日本の期待を一身に背負い1.5倍の圧倒的1番人気に支持されたオペラオー



残り200m



ゴールの瞬間までどうしても抜けない1頭がいた。



メイショウドトウだ



最後の最後、残り数10mの所でオペラオーがギリギリメイショウドトウをとらえクビ差の僅差で勝利



天皇賞(秋)で完全に負かしたと思ったメイショウドトウ

世界ではなく、まだ日本にもライバルは存在した。


この世界の強豪馬を相手の勝利が世界的に評価され、この時のレーシング・ポスト・レイティング(世界の馬の強さを数値で表したもの)で


126


という高さのポイントが付けられた。


このポイントは当時の歴代日本馬の中で最高ポイントであり、世界が歴代最強馬はオペラオーと認めた瞬間でもあった。


そして日本歴代1位の称号を受けたオペラオー


4歳最後のレース【有馬記念】に向かった。

7連勝中。

国内の古馬中長距離G1全制覇

有馬記念を勝利すれば日本競馬史上初の1年でグランドスラム達成という偉業が待っていた。



JRA公式YouTubeチャンネルにて伝説のレースの1つとして動画がアップされているので是非ともその走りを見てほしい







レースが始まると今までのレースとはすべてが違った。



全馬が最強馬オペラオーをマークし、身動きが一切取れなかった

最後の直線に入っても馬群からは抜け出せず11番手で動くことが出来なかった。


残り250m


マークする馬を押しのけ

狭い間を半ば強引に突破し

先頭を走るメイショウドトウをハナ差でとらえた所でゴール板を駆け抜けた。



和田騎手が絶対に負けれないと誓った1年前



その気迫と根性が見せた数センチの差で有馬記念を勝利した


この勝利で競馬の歴史が大きく塗り替えられた



重賞最多連勝: 8連勝

重賞年間最多勝利: 8勝

天皇賞(春)→宝塚記念→天皇賞(秋)→ジャパンカップ→有馬記念のグランドスラムを1年で全制覇



この記録は今も破られていないし、今後一生破られる事が無い記録になるだろう。


それ程までに2000年のオペラオーは異次元の強さだった。


20世紀最後の年のJRA古馬中長距離G1を無敗の全勝

世紀末に突如君臨したその姿にファンからは


世紀末覇王


という称号が付けられた。




そして、デビューから常に背中に跨り続ける若手ジョッキー和田竜二を、この時には批判する人は1人もいなかった。

この年の8連勝は武豊に乗り替わっていたら達成できなかったと言われている。

まさに、オペラオーと和田竜二の絆が魅せた奇跡の1年だった。




オペラオーの快進撃の裏では1頭の成績も注目されていた


世紀末覇王オペラオーの宝塚記念→天皇賞(秋)→ジャパンカップ→有馬記念とG14戦を全てオペラオーの2着

有馬記念では数センチ差での2着だったメイショウドトウにもオペラオーと同等の注目が集まっていた。

覇王への道を歩み続けるオペラオー

本来であれば引退して種牡馬入りし子供も残せる程の成績


しかし、オペラオーは競馬ファンの期待と夢を背負い翌年の2001年も現役として走り続ける事が決定した。


そんな中始動の2001年1月、思わぬアクシデントが


和田騎手落馬により鎖骨骨折



幸い大事には至らなかった為、復帰はすぐに叶った。


しかし、和田騎手以外を背に乗せる事は考えられないオペラオーは和田騎手の回復を待ち予定とは違う産経大阪杯から始動した。

和田騎手の骨折、そして大雪での調整不足や悪い事が全て重なりオペラオーの調子は今までにないほど最悪の状態でレースを迎えた


それでも勝てると願ったレース

オペラオーは4着に敗れた。




2戦目は昨年も勝利した天皇賞(春)


ライバル

メイショウドトウ

ナリタトップロード

の2頭との叩き合いの末、メイショウドトウに半馬身の差を付け1着でゴール板を駆け抜けた


この勝利でメジロマックイーン以来となる春の天皇賞連覇を達成した上に



もう抜かれる事はないだろう。



と言われていたシンボリルドルフの持つ大記録


GI7勝


を達成し、次走ではそれを超えるGI8勝にも期待がかかった。


新記録がかかった宝塚記念


そこにはすでに勝負を何度も繰り返し、何度も負かしてきたライバル達


【国内には敵う馬がいなくなったのだから、テイエムオペラオーの海外遠征を見てみたい】


ファンや関係者からのその声に、竹園オーナーは


宝塚記念で1着をとり

シンボリルドルフを超えて歴代最強馬の名を取ったら

日本最強馬として海外へ挑戦したい


と語っていた。


新記録と海外への挑戦という日本のホースマンの夢がかかった宝塚記念がスタートした


今までとは違い早めに先頭に立ちオペラオーを待ち構えるメイショウドトウ


昨年の有馬記念と同じく全馬からマークされ抜け出せないオペラオー

ようやく馬群の外に抜け出し追い出しをスタートしたが無情にもゴール板はすぐそこだった。




1着メイショウドトウ

2着テイエムオペラオー




メイショウドトウにとっては、届きそうで届かなかった栄光。すぐそこにいつもあった栄光。

手を伸ばせばすぐに手に入りそうな程の僅差で、5度も連続してオペラオーの2着に敗れ続けた


6度目の正直


やっとの思い出手に入れた悲願のG1勝利だった。




オペラオーと和田騎手にとっては



もう負けない。



そう誓ったあの日から2度目の敗戦。


そして、ついに大舞台でのGI競走でも敗戦。

GI競走連勝記録は6でストップした。


宝塚記念で負けた事によって海外遠征の予定も取り消され秋も日本で走る事が決定した。


シンボリルドルフの持つG1最多勝を抜くために。


サラブレッドの王として歴史に名を残すために。

最後の1勝を勝ち取る為に

宝塚記念では敗れたが敗れた原因は明らかだった。


他馬からの必要以上のマーク。

オペラオーの力が足りなかったから負けたのではない。


秋のG1は3戦

昨年連勝を重ねた

天皇賞(秋)→ジャパンカップ→有馬記念

全て勝てるほどの力はオペラオーにまだ残っている。



どれか1つだけでいい。


どれか勝てばシンボリルドルフの持つ大記録を超える事が出来る。


しかし、世間の注目は最強馬オペラオーの新記録達成ではなく違う所に目を向けられていた。


ようやくオペラオーを負かし悲願のG1を勝利した

メイショウドトウ


一つ下の世代で芝とダートで驚異的な走りを魅せてきた

アグネスデジタル


この年のドバイで世界の強豪を相手に日本競馬史上3頭目の海外重賞制覇の偉業を成し遂げた

ステイゴールド


NHKマイルカップを快勝しダート路線の重賞武蔵野ステークスで鞭も叩かず日本レコードを1秒2も更新する大差で勝利した

クロフネ


そのクロフネを日本ダービーで破ったダービー馬

ジャングルポケット


4戦4勝と異次元の強さで皐月賞を制覇し歴代最強馬になりうるか!と言われた所で骨折しクラシック3冠を断念した

アグネスタキオン




この年の競馬は今も語り継がれる歴史的名馬が多すぎた


世間の注目はオペラオーの注目を上回る程下の世代の名馬達に注目が集まっていた。

そんなオペラオーの秋初戦は3年連続出走、昨年も制覇し2連覇がかかるG2京都大賞典


オペラオーの連覇を阻むかの様にライバル

ナリタトップロード

ステイゴールド

の2頭も出走し3強対決に注目が集まった。





レース最後の直線

当たり前の様に3頭が抜け出すデッドヒート中に事件が起こった。



内を走るステイゴールドが外によれナリタトップロードとオペラオーに衝突

間に挟まれる形になったナリタトップロードがつまづき落馬



1着でゴール板を駆け抜けたのはステイゴールドだったが、ナリタトップロードの落馬の原因を作ったとして降着

結果的に成績だけを見ればオペラオーの1着となったが、オペラオーにとっては事実上の2連敗となった。



レース後、和田騎手はインタビューでこう語った


本来であれば完勝するはずのメンバーにてこずってしまった。

年齢のせいか反応が悪くなってきていて全盛期のキレが無くなっている。


もうあの時の強いオペラオーはいないのか。

こんなにも簡単に世代交代をしてしまうのか。


連戦連勝、常勝だったオペラオーの最後の1勝の前に大きな壁がいくつも立ちはだかった。




続く秋G1初戦は天皇賞4連覇の偉業に挑んだ天皇賞(秋)


同世代のライバルメイショウドトウにステイゴールド、ナリタトップロードは前走の落馬の影響で出走は叶わなかったが相手にとって不足はなかった。


最後の直線、早々とステイゴールドを置き去りにして宝塚記念の敗戦を活かすように早めにメイショウドトウをとらえ先頭に立つオペラオー



競馬史に残るG1最多勝利の8勝は手中に収めた



そう思ったゴール前




大外から驚異的な勢いで突っ込んでくる馬が1頭

あっさりとかわされて1着でゴール板を駆け抜けたのは下の世代の代表格


アクネスデジタルだった


遂に同世代ではなく下の世代にも勝ちを譲ってしまったオペラオー



あと2戦





下から追い上げてくる若い世代と共にオペラオーのタイムリミットは刻一刻と迫っていた。

世代交代、そしてオペラオーの引退

続くジャパンカップ

このジャパンカップはまさにオペラオー世代の真の最強馬決定戦となった。



永遠のライバルと言っていい4頭がようやく揃った



メイショウドトウ

ステイゴールド

ナリタトップロード




オペラオーの真意が試される大事な一戦がスタートした。




しかし、期待とは裏腹にゴール前の勝負はあっけなかった。



最後の直線で後続を大きく離して抜け出したオペラオーと3歳馬ジャングルポケット

叩き合いの末、あっさりとジャングルポケットが抜け出しオペラオーは2着に敗れた



今までのレースとは明らかに違った力負け

並んだら絶対に抜かれなかった。抜かせなかったオペラオーがあっさりと抜かれた



しかもまだ若い3歳馬に



あと1勝がどうしても遠い



引退レースとなった有馬記念


ジャパンカップの叩き合いでライバル達は消耗し有馬記念はライバルと呼べる馬はメイショウドトウ1頭だった。


圧倒的1番人気1.8倍で世間の注目を集めた引退レース


オペラオーと同じレースに出走すれば必ず着順が一つ違いだったメイショウドトウとの最後の一騎打ち


オペラオーのG1最多勝利という新記録達成か

メイショウドトウが最後の最後にオペラオーに意地を見せるか


世間の注目はこの2頭に集まった。


しかし、ゴール板を1着で駆け抜けたのは、この年の菊花賞を勝利した



伏兵マンハッタンカフェ



だった。

オペラオーは過去最低着順となる5着に惨敗


4着に終わったメイショウドトウにも及ばなかった。



シンボリルドルフを超えるG18勝は確実だと言われた秋のG13連戦


全てのレースで敗戦。


それも3戦全て3歳馬に敗れた結果は完全なる世代交代を示していた。



皇帝シンボリルドルフに並ぶ大記録を打ち立てたオペラオー


その大きな壁を超える事は出来なかったが、王者として君臨し続けたその姿


小さな牧場から生まれた奇跡の1頭


その平凡な姿の中に魅せる大きな輝きに唯一気づいた竹園オーナー


全レース。デビューから引退まで全てのレースの背中に跨った若き努力家和田竜二


和田竜二とオペラオーの絆の深さを誰よりも信じ調教師人生を全て捨てる覚悟で和田を乗せ続け、毎日オペラオーを見ていた岩元市三調教師


誰かが欠けていれば


どこかで何かが間違っていればオペラオーのこの強さは生まれなかった。



サラブレッドの王

テイエムオペラオーは引退した。

引退式と和田騎手の誓い

1月に京都競馬場でオペラオーの引退式が行われた。


1頭の引退式ではなく、そこには永遠のライバルと言われた


メイショウドトウ


の姿もあった。


異例の


2頭合同の引退式


歴史的名勝負を何度も繰り広げてくれた2頭


共にターフを沸かせた2頭はこれから競馬界を担う若い世代の活躍を見届け2頭同時にターフを去った。

この時のインタビューでオペラオーの背中に跨り続けた和田騎手はこう語った





「オペラオーにたくさんのものをもらったが、あの馬には何も返せなかった。一流騎手になることでオペラオーに認められるようになりたい」






「競馬人生は長いので、あの馬でやり残したことは、僕が騎手として成長することで、埋めていきたい」





オペラオーに認められる為に




オペラオーにありがとう。と伝える為に




オペラオー以外の馬でG1を勝利したらオペラオーに認めてもらえる気がする。





次に会うのはオペラオー以外の馬でG1を勝利したら。真っ先にオペラオーに優勝報告をしに行く。







和田騎手はこれからの騎手人生を歩む決意を心に誓った。


和田騎手はその後オペラオーの功績もあり沢山の有力馬に騎乗をした

しかし、あと一歩の所でG1勝利に手が届かない。


オペラオー引退後、和田騎手はどうしてもG1勝利に手が届かなかった。



一流騎手として

中央競馬史上30人目の通算1000勝を2016年に達成


驚異的で神がかり的な勝ち方で2017年には

1100勝を達成



しかしその1100勝の中に和田騎手が目標とするG1の勝利は1つもなかった。




刻々と時間だけが過ぎていく




オペラオーに会う事が出来ないまま決して短くはない月日は流れて行った。

オペラオーの死

2018年5月17日、テイエムオペラオーは心臓麻痺のため急死した。





引退から17年

最後に約束をしてから17年


あの時23歳の若者だった和田竜二は40歳のベテラン騎手になっていた。



G1勝利に手が届かないまま。


オペラオーの引退からG1を勝てていなかった和田騎手は遂にオペラオーに優勝報告をしに行く事は叶わなかった。

オペラオーに会う事は出来ず天国に旅立ってしまった。




オペラオーの死後、和田騎手は自身のTwitterを更新して、次のようにツイートしている。





昨日のことのようにあなたの背中の感触があります。
心がえぐられるような悲しみが襲ってきます。
自分にとって大切なこと…大事なことは…

元気に走り回っていたようですね…
先生もあなたらしいと言われてたよ。
ありがとうね
あなたのおかげでまだここにいます

まだまだ私は走ります。
あなたのように速く強くなりたいから…
ご冥福をお祈りいたします。


(原文まま)






このツイートに、当時を知る多くの競馬ファンが反応。

2つのツイートに200件以上の温かいメッセージが寄せられ、リツーイトは8000を超え、2万を超える「いいね」が集まるなど競馬絡みのツイートとしては異例の反響があった。



それ程までにオペラオーと和田騎手は絆で繋がれていた。


テイエムオペラオーと言えば和田竜二

和田竜二と言えばテイエムオペラオー


20世紀最後に現れた世紀末覇王

テイエムオペラオー


その訃報はニュースでも取り上げられ、競馬施設や牧場には献花台が設けられ

当時を知る競馬ファンからは多くの悲しみの声が鳴り響いた。





オペラオーが急死した1ヶ月後



オペラオーも勝利した


G1宝塚記念


和田竜二は愛馬ミッキーロケットで出走した


人気は無かったミッキーロケット






しかし、この時の和田騎手は一人じゃなかった。





愛馬ミッキーロケットと天国にいるオペラオーがついていた。







最後の直線、まさにあの強かった時の、王として君臨した時のオペラオーの様に抜け出す和田竜二とミッキーロケット






残り100m後ろからの猛追に抜かされそうになる






もうだめか。そう思った瞬間。











それはミッキーロケットが最後の気力を振り絞ったのか、それとも別の何かの力が加わったのか

そんな印象を与えるゴール前最後の一伸び











和田竜二とミッキーロケットは1着でゴール板を駆け抜けた













およそ17年ぶり

オペラオーが天に旅立ってから1ヶ月後

和田竜二はG1を勝利した


























ゴール板を過ぎてすぐに馬上で泣き崩れる和田竜二

その心の奥にどんな感情があったのかは本人にしかわからない。

17年間勝てなかったG1のタイトルを遂に勝ち取った。


オペラオーに助けられて獲得したG1とはまったく違う。

和田騎手の力でG1を勝ち取った。







オペラオーと果たせなかった最後の約束



それはまさに天国で見守るオペラオーに捧げる勝利となった。

レース後のインタビューで目を赤くしながら答える和田騎手からはこんな言葉が発せられた




『オペラオーが後押ししてくれた』

『勝ってオペラオーに報告したかった』

『やっと胸を張ってオペラオーに会いにいける』






17年越しのオペラオーとの約束を果たすことが出来た和田騎手

宝塚記念の勝利後、Twitterで和田騎手がこの様な投稿をした。



騎手と馬の絆



1人の若い騎手の人生を大きく変えた名馬


ライバル


メイショウドトウ


ナリタトップロード


ステイゴールド


との名勝負の数々




様々なドラマや周りの馬への注目も重なった


決して強い勝ち方は1度もなかったかもしれない。


しかし、絶対に抜かれない。絶対に抜かせない走りで勝ち続けたG1


その走りから最強馬とは呼ばれる事は少なかったオペラオー


しかし、皇帝シンボリルドルフに並ぶその実績は、まさにサラブレッドの王、そして世紀末覇王の名にふさわしい記録を打ち立てた



強すぎる期間が長すぎたその生涯は勝つ事よりも、負ける事でライバルや若い世代にスポットが当たる事が多かった。

強すぎるあまり、出走する全てをの馬が敵になった。


それでも勝ち続けたその姿は20世紀最後にして最強の称号が与えられた




ウマ娘の世界では

サラブレッドの王として覇王の道を永遠に突き進み

全頭が敵だった現役時代をねぎらう様に、誰からも愛されるキャラクターになってほしいです。











テイエムオペラオーよ永遠に。

埼玉県越谷市にあるヴィレッジヴァンガード+PLUSイオンレイクタウン店で勤務するスタッフです。

黒髪長髪ド派手な柄シャツがトレードマーク!

趣味はサウナと音楽鑑賞


自分が行って最高だったサウナや気になっているサウナ

自店で行うインストアイベントでプッシュしたいアーティストの記事を書いています。

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