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2020.07.16
羊文学・塩塚モエカに 「記憶にフタをしていた」女子校時代 のエピソードを話してもらった【VVmagazine vol.72】

VVmagazineにちなんで「VVポーズ」、ありがとうございました!
「推したいバンド」は常日頃現れるが、羊文学はまさにそれ(それもずっと)。
軽やかでポップなサウンドだったり、シューゲイザー寄りのざらついたサウンドがあったりと音楽性は幅広く、内省的な心情を綴った歌詞、ステージ映えする3人のビジュアル……と特徴を挙げればどんどん出てくるが、まあとにかく騙されたと思って検索してすぐ聴いてほしい!
そんな羊文学のすべてのソングライティングを担うボーカル/ギターの塩塚モエカさんは、「中高一貫の女子校出身」と過去のインタビューで語っていた。
「突然何だ?」と思うかもしれないが、バンド名自体ができたのが中学、バンドがスタートしたのが高校からと、クリエイティブには「学校」というか「女子校」で得た価値観も少なからず入っているのでは……という仮説のもと、本人にオンライン取材で聞いた。
─これ、公式には発表してないと思うんですけど、塩塚さんは女子学院(桜蔭、雙葉と並び“女子御三家”と呼ばれる名門)出身なんですよね。
「いいですよ、全然。ファーストEPの『トンネルを抜けたら』では、ジャケットで私が制服を着てるんですけど、それがJG(女子学院)の制服なんです。そのままは避けて校章は消したりしてますが」
─男性からすると、当たり前ですけど女子校ってどんなところか想像が難しいんですよね。
「私のところは女子校の中でも結構特殊ですね。私立だったんですが、私服登校OKで。
でも人生で1回も制服がなかったっていうのは、社会とのズレを感じるところがあって。
例えば就活とかでみんなスーツ着たりするじゃないですか。
その必要性がほんとに分かんなくて。『自分の着る物は自分で選ぶ』が当たり前だったので」
─結構自由な校風だったんですね。
「と思ってましたね。“変人の巣窟”とか言われてたり。
でも他の学校との交流ができないし、携帯も即取り上げられるし、いろいろ自由じゃなくて『嘘じゃないか!』と……だから当時の記憶に蓋をしてたところもあって(苦笑)」
─すいません、今回開けてしまい…じゃあ自ら女子校を志望していたわけではなかったと。
「そうなんですよね。今となってはありがたいんですけど、親が『受けなさい』みたいな感じから決まったところがあって。
地元の小学校には音楽好きな子がいっぱいいて、当時RADWIMPSとかが小学校の放送で流れてたりしたんですけど、中学に入ったら誰もバンド詳しくないって感じで何を話せばいいんだみたいになっちゃって、結構ギャップがありました」
─入学前後でギャップって生まれがちですよね。
「そもそも勉強もそんなに好きじゃなかったんですよね。
もうその時にはミュージシャンになりたいっていう目標もありましたし。
一応部活には入っていたんですけど、それ以外はミクシィで仲良くなった人たちと洋服を作るチームみたいなのを組んで原宿に集まったり」
─それでも「羊文学」という名前は中学のときに決まったんですよね。
「はい、中学3年生の夏くらいですかね。
そのときはサイドギター、サイドボーカルだったんですけど。で、私が『閃光ライオット』(10代のみのミュージシャンが集まる音楽イベント)を見に行ってて、その会場で『バンド名どうする?』とメールがきて、帰り際に『羊文学』と名付けたっていう」
─なんか「青春」って感じのシーンですね。
「あ、でも本当に決まったのは家に帰ってきて洗面所にいたときですね(笑)」
─えっ(笑)。
「そうだ、いまだに覚えてます。結局、そのバンドに参加してライブしたのは高校1年の4月でした」
─高校時代からバンド活動を始めてからは、それまでと学校の楽しさ度合いも変わってきたりしましたか。
「というより軽音楽部に入って、そこで羊文学以外にもう1個バンドをやっていました。
『バンド』っていう自分がやりたいことができたのが大きいですかね。
中学からずっと学校の外でいろんな人に会ったりすることは変わらず続けていたので、バランスは取れていました」
─自分の居場所が増えていくっていうのはいいですね。
「それと、私数学がめちゃめちゃ苦手だったんですね。
中学3年生のときに三角関数の試験で30点を採って『もう理系は無理!』ってなって、高校からは私立文系を選んだんです。
数学とかを学ばない分、好きなことを授業で選択できるんですけど、パイプオルガンを選んで、先生とか周りの上手な子たちの演奏を聴いたりできたのは良かったですね」
─音楽に触れる時間が公式であるのはいいですね。話を聞いていると、少なからず学校には“息苦しさ”を感じていたと思うんですが、そこで抱えた思いが創作につながったことってあるんですか。
「音源化されてないんですけど、私が人生で初めて作った『魔法』っていう曲があって、それは学校に行きたくないっていうことを凄く遠回しに表現しています。プロテスタント系の学校だったので、毎朝『礼拝』の時間があるんですけど、そのときに歌詞を考えてたら胃が痛くなった記憶があります(笑)」
─振り返ってみて、中高で身についたことって何だったと思いますか。
「校則がほぼなかったり服装が自由だったりっていうのは、一般とはちょっと違った目線を持てたっていう意味で良かったかなとは思いますね。
先生も1人1人にちゃんと向き合ってくれて、ほっといてくれるところはほっといてくれるし、悩んで相談したらちゃんと答えてくれて、そこでも自主性が育ったのかなと」
─ちょうどコロナの影響でしばらく学校がなくて、未来への展望も見失ったりする人もいると思うんです。塩塚さんがその立場だったらどうしてます?
「ネットめっちゃ見ます、多分。私が中学生のときはほんとにずっと携帯見てましたね。
身体によくないとは思うんですけど、そのとき使ってたミクシィとかアメブロの友達、今一緒に仕事したりしてますね。
アメブロでブログ友達だった子が、ライターになって、仕事に誘ってくれたり。
なので、学校を出た世界には居場所が一杯あるから無駄に傷つかないようにしてほしいですね」
─ずっと同じところに身を置いているとわからなかったりすることですね。
「そうなんですよ。学校って“毎日行かなきゃいけない場所”みたいな思い込みもあるから、それより大きいものが見えなくなりがちですけど、全然そうじゃなかったんだなって。
自分が思っているより時間は長いから、やりたいと思ったことはどんどんやった方がいいと思います!」

<プロフィール>
塩塚モエカ(しおつかもえか)さん
1996 年東京生まれ。羊文学のボーカル/ギター。2017年『トンネルを抜けたら』でデビューし、今年2月5日には最新作 EP『ざわめき』を発表。ソロ活動では、羊文学とは異なる楽曲を弾き語りで演奏。また音楽以外でも、ファッションブランドや広告でのモデルを務めるなど活動の枠を拡げている。
ちなみに中学時代の私服は「めちゃめちゃ派手な格好してましたね。『Zipper』っていう雑誌に影響受けてふわふわのパニエみたいなのを履いてたり、頭にお団子つけてたり、スタッズがいっぱいついてるバングルみたいなのもしてました」とのこと。
本記事はVVmagazine vol.72に掲載されたものの転載です。
