ヒマつぶし情報
2018.06.13
【20年の軌跡】ストレイテナー・ホリエアツシの少年時代を遡ってみた。
2018年でバンド結成20周年を迎えたストレイテナー。
フロントマンであるホリエアツシさんは、
中学生のころからすでにミュージシャンを志し、
20歳のときにストレイテナーを結成。
それから20年間、ずーっと活動を続け、
今や幅広い世代が憧れる人気バンドへと成長したのだった。
これといって何も成し遂げられたことがない筆者にとって、
バンドマンとして生きるホリエさんの人生に
むちゃくちゃく憧れるわけです。
どんな学生時代を過ごしていればホリエさんみたいになれるんだろうか。
ホリエさんの人生を遡り、そのヒントを探してみた。
──まず、小学生のころはどんな子どもだったんですか?
「小学校時代は親の仕事の都合で2年ごとに転校してました。
新しい環境とか新しい友だちに溶け込むのに神経を使っていて、
“転校のプロ”みたいになっていて。
1週間でその土地の言葉を覚えて、友だちをつくるような」
──小学生としてはかなりハードですね。
「子どもながらに、小学校はすごく小さい社会ではあるけど
立派な社会だとも思っていて、それがどんどん変わっていくことによって、
自分も成長していたのかなと思います」
──そこに気づく小学生ってなかなかいないっすね。
「子どものころから大人びていましたね。
タモリさんがよく「2歳のころがいちばん大人だった」
と言うんですが、その感覚がすごくわかります」
──そんな大人びた小学生、友だちとのギャップがありそうです(笑)
「でも、“転校のプロ”だから順応力があるので
鬼ごっことか何でもやりました(笑)。
客観視するんだけど、ちょっと遠くから見るんじゃなくて、
友だちの真ん中にいながら客観視しているような。
達観してましたね」
──そんなホリエ少年は、当時から音楽は好きだったんですか?
「好きでしたね。最初に憧れたミュージシャンはチェッカーズ。
そこから何となく音楽が好きで、
80年代後期ではじまったバンドブームで、
THE BLUE HEARTSとかBOOWY、ユニコーン、X JAPANとか
なんでも聴いてました。すごい子どもらしい遊びをしながらも、
家でずっと音楽を聴いていたり、楽器をやったり」
──それらの反抗的な音楽に影響されたりしてたんですか?
「それはもうちょっと後になりますね。
中学生になるときに長崎県に引っ越して、
具体的にバンドをやりたいと思っていたとき、
長崎県出身のPAN PAN HOUSEが流行っていて、
そのバンドがゴリゴリの反抗期な感じのロックバンドだったんです。
僕は不良ではなかったんですけど憧れはありましたね」
──中学生になったホリエ少年はどんな学生時代を?
「小学生のころは学級委員とかになるような子だったんですけど、
中学校に入ってからは目立たずマイペースにいこうと思って。
好きな友達と好きなことをやって遊んでいるうちに
音楽にどっぷりハマっていきました。
ナカヤマくん(ストレイテナー/ドラム)と出会ったのも中学時代で、
同じ音楽教室に通ってました」
──そこからストレイテナーの歴史がはじまるわけですね。
「高校生で初めてナカヤマくんと中学からの友達とバンドを結成して、
そのときからプロを目指していたので、
いきなりオリジナル曲をやったりしてましたね。
ライブは夏休みに2回、冬休みに2回くらいで、
コンスタントな活動ではなかったです」
──意外にも少ないんですね。バンド三昧な学生時代かと思っていました。
「当時からかっこつけたがりなところがあったので、
みんなで友達ノリでバンドをやるんじゃなくて、
バンドはバンドでプロを目指したいから
自分が目指す理想に達していないと人に聴かせたくない
という思いがありました」
──やっぱり高校生のころから目指すところが別格ですね…。
「当時の友達からは
「そんな本気でプロ目指してるなんて思ってなかった」
ってよく言われてましたね(笑)。
そのときから(バンド活動をするためにも)東京に出たいっていう思いが
明確になっていたので、大学への進学を足がかりに上京するために
勉強も真面目にやっていました。
そして中央大学に入学して東京へ」
──東京に出て、バンド活動も活発になっていったんじゃないですか?
「そうですね。でも東京に出てからは不遇な時代がどうしてもあって、
バンド活動も思うようにいかない時期が続きました。
子どものころからあった“かっこよくありたい”っていう性格から
だと思うんですけど、ナメられたくない意識が強くて、
かっこいいバンドじゃないと仲良くなりたいって思わなくて。
同世代のバンドとも仲良くできずに、
最初は自分たちでライブの企画もできないから、
ライブハウスのブッキングで出してもらって、
いろんなジャンルの人たちと、僕たち自身もよくわからないジャンルの
音楽をやるみたいな、鬱々とした時代もありましたよ」
──過去のインタビューでは、「昔は周りに心を開かずに尖っていた」
というキーワードも多く目にします。
「ライブハウスのオーディションに落ちて、
「なんでですか?!」って食ってかかったりしてましたね(笑)。
「他のバンドのがダサいじゃん!」って。
そんな下積み時代が5年くらい続いて、
東京・下北あたりのライブハウスでちょっとずつ力をつけていました」
──不遇の時代を抜けたきっかけはあったんですか?
「歯車が噛み合って来たなと思えたのは、
ARTSCHOOLとかアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)、
ELLEGARDENとか、周りにいる同世代のバンドと
お互いを認め合えたころからですね。
「俺たちは違う」みたいな壁をつくりながらも、
たまに出会える好きなバンドと、共感し合ってだんだん繋がりができて、
いつのまにかそれがシーンになって。
気づいたら周りの人たちが後押ししてくれていました」
──当時を振り返ってみて、あのときもっとこうしてればな~って
後悔はありますか?
「見た目にもっと気を使えばよかったですね(笑)
グランジの美学があって、お金持ってなさそうな格好が
かっこいいっていうのがあったりして。
ちゃんとかっこいいんだったらよかったんですけど、
本当にお金持ってない学生みたいな感じだったので(笑)
──ということは、モテは意識してなかったんですね(笑)
「全然なかったですね。人気が出始めたバンドって、
初期からのファンの女の子たちがスタッフになって、
チラシを配ったり、無償でいろいろ世話を焼いてくれる
っていうケースが多くて。
でも僕らはそういうことも一切なかったですね(笑)。
一線を引いてたというか、ただ単に人気が無かったからか(笑)
キャピキャピしているバンドをまず嫌っていたので。
チャラいなと思って。
でもそういうスタンスのバンド同志だから、仲良くなれたバンドはいましたね」
──自分がかっこいいと思うことを曲げずに、やり続けることが大事なんですね。
「特に学生時代って悩むことも多いし、反抗することも多いと思うけど、
本当にこの人はじぶんのことを認めてくれてるって人たちには
心を開いたほうがいい。
信じられる人とはいろんなことを分かち合えるんじゃないかなと思います」
── バンド結成から20年が経って、当時と今の音楽で変わったと感じる部分はありますか?
「昔は極端で、自分がかっこいいと思うもの以外に興味がなかったんです。
でも最近、他者が思う良いものを素直に認められるようになって。
映画も漫画も小説も、作り手が「この作品で何を伝えたいのか」ってことに
目を向けるようになってきて、
自分の作品にもそれが現れてる気がしてます。
昔は何を伝えたいのかわからない方が神秘的だなと思っていたんだけど、
伝えたいことを明確に表現する熱意に感動できる。
これからは伝える意思を強く出していきたいと思っています」
1978年生まれ。長崎県出身。1998年にロックバンド・ストレイテナーを結成。
NEW ALBUM
『Future Soundtrack』
2018年5月23日(水)リリース!
HORIE’S COMMENT
未来に向かって、今自分が大切にしたいものや愛すべき存在と、大事に向き合っていきたいという思いがつまった1枚です。
「Boy Friend」は、当時バンドがうまくいかずにもがいていた下積み時代、自分のことを理解できるのは自分だけだと思い込んでいた頃の心象風景を思い出しながら書いた曲。バンドをやっている「きみ」を見守る「ぼく」の目線で、ファンとして支えたい気持ちと友達、恋人としての切ない思いを描いたストーリーになっています。青春真っ最中の中高生にはとくに聴いてほしい1曲なので、ぜひ何か感じてくれたらうれしいです。
記事元
こちらの記事は、ヴィレッジヴァンガード公式フリーペーパーVVMagazine vol.47で読むことができます。
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