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ヒマつぶし情報

2019.10.24

【VVmagazine】~竹内力様から、若者たちへ~ “我道切開”!! 己の道はワレが切り開くんじゃ!!

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このインタビューは2019年9月25日発行VVマガジンvol63に掲載された記事の転載です。

 男の中の男とは、一体、どんな男であろう?記者は、そんな禅問答みたいなことなことを考えていたところ、パッと閃いた人物がい た。コワモテであり、ユーモアたっぷりな俳優・竹内力さんだ!個人的に昔からファンではあるが、今、この人にお話を聞かねば、絶 対に後悔すると直感が働いた。とゆーわけで、突撃取材!その一部 始終を公開しよう !!

――(恐る恐る…)力さんは、どんな少年でしたか?

「運動神経は良かったよなぁ〜。学年で1位だったし。短気で喧嘩っ早くて、田舎育ちの大工のセガレだったし、勉強嫌いで宿題なんかも嫌で嫌でしかたなかったなぁ〜。仮面ライダーごっこでは、ショッカーの怪人役をやって、ライダー役のやつを逆にライダーキックしていたな(笑)」

――イメージ、そのまんまですね(笑)。では、思春期のころはどんな青年でしたか?

「高校は商業高校にギリギリ入れたよ。俺も相当勉強が苦手だったけど、野球推薦で入ったやつが多くてクラスには俺よりも苦手なやつばかりだった(笑)」

――いろいろと、ワルさもしたんでしょうか?

「何もない田舎町の平和な不良だったからね。バイク乗り回して、タバコ吸って遊んでばかりいた。たまには喧嘩もしていたなぁ。でも、俺はちゃんと教室と廊下の掃除はやっていたよ。まずバケツに水をくんで階段上がってきて水をぶちまけてモップを引きずって歩き回る。そして掃除終了。優等生だと思わない?」

――ハハハ!ご立派ですね〜

「さすがでしょ?それを見た教師は、『おお、一人で自主的に教室を清掃しとるな。感心、感心!』という評価になるわけ。ガハハハハ!」

――う〜ん、模範生ですね(笑)。力さんは歌手としても活動しているわけですが、当時から歌うのは好きだったのですか?

「バンド組んで文化祭で歌ってたよ。むしろ、楽器は一切やったことない。小学校の授業の縦笛でさえ、『そんなのやっても将来、笛吹く仕事になんか就かねーから意味ねーよ』って、拒否していたぐらいだしね」

――そうなんですね(笑)。そのころから、芸能界に入ろうと?

「いや、全然、思ってなかった。俺、高校卒業後は、学校からの推薦で銀行へ入社したしね」

――銀行員?しかも学校推薦で入社 !?

「ハハハ!当時は、企業でもスポーツ推薦枠みたいなのがあって、俺みたいな馬鹿でも入社できたんだよ。おかげで札束を勘定する演技テクニックが、後の演技に活かされるたわけだ」

――なるほど!では、そこからどのように俳優になるプロセスを踏んだのでしょう?

「先に上京していた先輩に触発されて俺も上京して、ライブハウスでバイトしていたら、スカウトされたんだよ。今思えば、芸能界うんぬんと言うより、どこかで成り上がってやろうという気持ちがあったんだろうね」

――そこから、順風満帆な俳優人生が?

「いや、仕事は貰えていたけど、リーゼントヘアーで銀行員時代も通してきた俺が、髪の毛を降ろしてセンター分けして縦笛も吹けないのに、バイオリン弾いている役をやっているのが耐えられなくてね(笑)。テレビドラマより、Vシネマの方が本来の自分を出せると思ったわけよ」

――そこで、力さんの代名詞であり代表作である、関西方面ではテレビ放送でもお馴染みの『難波金融伝・ミナミの帝王』に出会ったわけですね。

「そうだね。漫画が原作だけど、萬田銀次郎というキャラクター像は自分のアイディアでどんどん変えていった。洋服を派手にしてサングラスをかけたり、足をテーブルに乗っけたり、様々な外車を乗り回したりと」

――力さん流の〝演技の極意〞はあるのでしょうか?

「ん〜ん、ないなあ〜。そもそも、俳優養成所に通っていたわけじゃないし、俺は演技するより、〝キャラクターを創る〞のが好きなんだよ」

 ――ははあ。では、同じくらい有名な『岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説』の主人公像も、力さんのアイディアなのですか?

「そうだよ。最初は普通にワルな大人なキャラクターの企画だったんだけど、それだと普通で面白くないから、オッサンの俺が中学生の役を演じたら面白いんじゃないかと思って」

――最初に観た時、衝撃的すぎました。あんな中学生いたら、逃げますよ(笑)。

「だろ?(ドスが利いた声で)それが、狙いよ〜!!」

――そういえば、LINEで自身をキャラクタースタンプにしたのも、芸能人では力さんが先駆けだったとか?

「そうなんだよ〜。その前に着信ヴォイスでヒットしたからな。スタンプでもイケると思ったわけ。案の定、1位になってLINEの本社で表彰されたよ」

――ファッションブランドを立ち上げたり、焼酎のプロデュースをしたりと、芸能活動以外も独創的ですよね。

「やっぱり好きなんだよ、何かアイディアを出すのが。俺の会社では映画製作事業もしているし。ただ、これは勝算ないなと思う案件は、やらないよ。自分に向いてないことは、やってもしょうがない。焼酎のプロデュースは、若いころから飲んでいた俺としては、自分で味や香りを生み出し、ボトルデザインも仕上げたわけだから楽しいに決まってるよね(笑)…まぁ、昔の特に田舎では、親戚のおっちゃんとかが勧めてくるわけさ。年配の方との信頼関係もそこで結ばれている部分があったんだよ」

――そう言えば、こちらのスタッフが、旦那さんも中学生の息子も揃って、力さんの大ファンらしいです。

「それは、嬉しいね!」

――(女性スタッフ)「…当時息子の妊娠中にずっと『ミナミの帝王』を 観ていたんです。力様みたいな男になってほしいと思って…」

「じゃあ、俺みたいに正義感が強い男になったわけだ(笑)!」

――(女性スタッフ)「それこそ、うちの息子、正義感が強すぎたため、逆に小学生の時にいじめられてしまったんですよ…」

「(ただでさえ、鋭い眼光がさらに鋭くなり)…いいか、『お前は間違っていない!』と、息子に伝えときな。自分が正しいと思ったことは貫き通すのが、男にとって一番大事なことなんだ。最近、自分の子供を虐待するような男も多いだろ?俺はそういうやつを絶対許さない!!あと、父ちゃん母ちゃんが年老いたら、風呂で背中流してあげるような男になれ !! 」

――(女性スタッフ)「…は、はい…(感涙)!」

――ありがとうございます!では、最後に若き読者に向けて、メッセージをお願いします!

「(ドスの利いた声で)ねえなあ 〜(笑)!」

――そこを、なんとか一声!

「〝我道切開〞だな。俺が考えた造語なんだけど、昔、ファンに『座右の銘を 教えてください』って求められてさ。座右の銘なんてそもそも意味もわからなかったから、四字熟語を適当に考えたんだよ(笑)。〝我 の道を切り開く。なかなかいいだろ?自分の人生なんて自分で何とかしなきゃ、どうにもならねーんだからな」



 最後の最後まで、滅茶苦茶かっこいい佇まいを観せ、言霊を発してくれた力のアニキ。そのダンディズム・ユーモラス・独創的な発想と生き方は、この令和時代の若者たちにも伝わるのではないだろうか。力のアニキ!これからも、後続の世代を温かくも鋭い眼差しで見守ってください‼

1964年生まれ。俳優・タレント・歌手・映画プロデューサー。『 難波金融伝 ミナミの帝王』シリーズなど、多くのヒット作品に出演。’97年には、映像製作会社RIKIプロジェクトを設立 。’15年に演歌歌手としてデビューを果たすほか、近年では映画『聖の青春』(’16年)、『 ねことじいちゃん 』(‘ 19年)で精力的に製作を手掛けるなど、活躍の場を広げている。


本記事はVVmagazine vol.63に掲載されたものの転載です。

VVmagazine vol.63はコチラ

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